性被害と性意識。(ちょっとヘビーなハナシ)

自分がペド被害者(挿入という意味では未遂)であるってことは、以前からうすーく仄めかして書いたことはあるんだけど。ちょっとまとまった形でそれを書いておくべきなのかな、と思った。誰からも頼まれてないけど。


うちは昔自営業やってて、住込みで働いていた人がいたわけなんだけど、そのうちの一人が、仕事で使う暗室に私を連れ込んで、ディープキスとか口淫とか手コキとかをさせたわけですよ。そのとき私はまだ幼稚園の年中(というか二年保育だったので下の組)だったのだけど。前に書いたけどそのころ我が家は、母は入院してる父の付き添いで弟といっしょに信州に行ってることが多くてほとんどいなくて、母のイトコの奥さんとか住込みの人のお母さんとかが私と姉の面倒を見ていたわけなんだけど、そういう中で、そういうことが起きていたわけです。当然、むこうはこう言ったわけですよ。


「誰にも言っちゃだめだからね、お母さんにも、誰にもだよ」


もちろん当時はそれがどういう意味なのかなんかわからなかった(性的な意味合いがあるということさえわからなかった)し、私はその住込みの人のことを当時は好きだったから(あるでしょ?子供心に、身近な大人の異性を異性として好きになるってこと)、その人との間に秘密を持てたということに対してはうれしい気持ちがあった、ということは、多分間違いないと思う。


それは何度もは続かなかった(その時は。後日談があるのでまた後で出てくるかも)。多分他の大人が気がついてむこうに注意したのだろうと思うけどそのへんはよくわからない。とにかくそれは、自分の中では「大人との間にあった秘密のこと」という意味でしかなかった。


少し成長して、自分自身にも性的な好奇心っていうのが目覚めてくる。でもって、私は何でも自分で本で調べたりしちゃうほうだったんですが、そういう中で、あの時のあれが性的な意味を持つこと、イヤラシイ、いけないことだったのだと知るわけです。自分が性的な対象とされた、ということ、それをうれしいと思っていたことに愕然とした。きっと自分は生まれながらにイヤラシイ子で、だからイヤラシイことをされるのが当然で、だからイヤラシイことばかり考えてしまうのだ、と思った。


母は(母親としてはそれほど珍しくないと思うが)子供が性的なものに関心を持つことを嫌う人だったし、そうでなくても私より弟を可愛がっていたので、イヤラシイことばかり考えるしイヤラシイことをされた子だってことを知られたらきっと嫌われてしまうと思って、あのときにされたことの話は絶対にできなかった。性的な話題に触れることにすさまじく強い罪悪感を長く引きずっていたのは、多分このせいだと思う。


(ちなみにこの母は、私がちょっとでも異性とか恋愛とかに興味を示して、たとえば男性タレントをかっこいいと言ったり、担任でない若い男の先生と仲良く話したりしていると「男にばっかり興味もってイヤラシイ」と吐き捨てるように非難したし、ちょっとでも性的な漫画を読んでると「やっぱりアンタは淫乱ボクロがあるから淫乱な子」と言ったりするような母で、私は年相応の性的興味というのがどういうものであるかというのが全然わからないまま育っちゃったような気がする)


そんなわけで、電車で痴漢にあってもそれを訴えることもできない(だってイヤラシイのは私なわけで、痴漢する人はそれをわかってるから自分を狙うんだと本当に当時は思ってた)、そういう風になったわけです。

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あんまり長くならなかったので、後日談のほうに入ります。


それからずーっとたって、中学のころ。その頃はその住込みの人は独立してて、我が家から徒歩10分弱くらいのところで仕事をしていたのだけど、うちの仕事が立て込んできたりすると、時々手伝いに来ていた。母はその人をずっとすごく頼りにしていて、実際のハナシ、その人がうちの手伝いをしてくれないとうちの仕事が回らなくなるような状態が結構続いてた。


で、うんと立て込んだときとかは、徹夜で仕事するわけですよ。そんなある日、ふと夜中に目を覚ましたら、私裸でした。あてがわれてた。入れられる寸前でしたよ。でも、声を出すこともできなかった。それどころか、ただ寝たフリしていることしかできなかった。ずっと寝たふりして悪夢が終わるのを待っていた。

(ちなみに、二段ベッドの下の段が私で、上の段には姉が寝ていた)


キツすぎて入らなかったからなのか、結局その時も既遂にはならなかったのは不幸中の幸いだった(のかどうかさえもうよくわかりませんが)。その後も何度か同じことがあって、そのうち、その人が結婚してからはそういうこともなくなったのだけど。


なんで声も出せなかったのかというと、声を出す→家族に「私がイヤラシイことをしている」と知られる、と考えたから。実際にはもちろん、しているわけじゃなくて一方的にされていたのだけど、でも周りからみたら同じことだと当時の自分は考えてた。

(実際、母に話したら多分間違いなく「アンタが誘ったんだろう」みたいなことを言われて、絶対に私は守ってはもらえなかったどころか余計に傷つけられただろうと思う。そういう母だということがわかっていたから、私は母にはこのことは一生言わなかった。


中学の時のこのこと、声を出すこともできずにされるがままになっていたことが、「イヤラシイ、淫乱な子」という自己認識を強化してしまったり。


あーなんか考えたら、この一人にずいぶん人生むちゃくちゃにされたのかもしれない。あんまり考えたことなかった(というか考えることを避けていたのかも)けど。

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性被害にあって、性的なことを極度に忌避するようになる人とは逆に、性的なことに積極的にコミットというかより性的な行動をとるようになるタイプがある、といいますけど、もしかすると自分はそっちのタイプなのかもしれない。自分に対する無価値感とか、自分を好きになれないので大事に出来ないというか。


ただ、実際問題としては、母に嫌われたくないという気持ちがあったからそれほど逸脱しなかったし、もうひとつ、すげーデブで男からあんまり相手にされなかった、ということもある。


まあこれもヤヤコシイことに、「男から相手にされないようなデブ」って実は結構男が寄ってくるもんで、つまりそれは「多分処女だろう」みたいな、かつ「女のほうから離れていくことがないだろう=男が常に優位にたてる」みたいなことでもあったのだろうと思う。でもそんなの当時はわからないから、


実際、「ヤラせでもしないと私なんかとつきあってくれる男なんかいない」っていう意識に、ずいぶんと長いこと囚われてきたし。実際問題今だってそこから解放されてないというか、解放されきれないまま女やめちゃったような気がしてますが。


まあでも、ヤケ&もてないデブスのネタとしてのエロトークnifty時代に下ネタの女王とか言われて、それでその頃親しくなった人たちとはずいぶん性的なことについて語ったりしたけど、結局今の自分があるのは、その時にいろんな話ができたから、だと思う。性について語ることや興味を持つことがイヤラシイことではないことも、その時にだんだんわかるようになってきて、それでエロ小説書いたりするようになったし、母との関係はさておいて、性的なことを自分の人生の汚点ではなく考えられるようになってきたので、そういう意味では自分は恵まれていたのだろうと思う。



いやー、思ったよりヘビーになった。一応部分的にフェイク入れてあるけど、大筋は実話なので。

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なんで今回これを書こうかと思ったのかというと、例の非実在青年の件で自分の考えをまとめようと思ったからなんだけど、結局、うまくまとまらなかった。


ただ、書いていて気がついたのだけど(というか、改めて整理するまで、いつ自分の中の罪悪感が薄れて、それが何がきっかけだったのか特に意識したことってなかった)、性について語ることを忌避する環境では罪悪感ばかりが増幅され、オープンに語れること、ふつーにエロトークとか(お下劣なもの含めて)できるような環境で、少なくとも自分は救われた、ということはいえるような気がする。


あくまでも自分は、だけど。