和田誠反原発ポスターについてのガッカリ。

えーと、これどこかにかいたような気がするんですけど。

何年か前に「おふくろさん騒動」っていうのがあったんですけど。森進一の代表曲である「おふくろさん」の冒頭部分に、森進一が勝手なバースを付け加えて歌っていて、それが原曲の作詞者である川内康範の逆鱗に触れ、「二度と歌うことは許さん」となった、ってやつ。

あれは、著作権法的に同一性保持権とかいろいろそういうことがメインだったわけですが、それとは別に、私が感じたことは、

「森進一ってこの歌のことなーんもわかんないで歌ってたの?」

でした。もともとの「おふくろさん」の歌詞って、自分の生き方の芯の部分というか志の中にはいつでも母の言葉が生きている、という、力強い歌なわけですよ。そこに付け加えられたのが

「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした 今ではできないことだけど 叱ってほしいよもう一度」

なわけです。これ、ガッカリというかダイナシというか、おまえナニあまえてんの?的な、なんだこのベタベタしたのは、って思いません?私は率直に言って、「おふくろさん」の歌詞の世界とはまるで相いれないものだと思うのです。森進一は、ずっと歌ってた代表曲の歌詞がなにを歌っていたのかをちゃんと理解していなかった、ということが図らずも露呈してしまった、そういう事件だったのではないかと。

もともと川内康範という人はそんなに著作権にやかましい人ではなかったのにあれだけ激怒したのは、個人的にはやっぱり、あのベタベタした内容がきにいらなかったのではなかったのか、と思ったりしてます。


で、ここまでが長い長い前置き。

和田誠という人は日本を代表するグラフィックデザイナーで、生きるレジェンドみたいな偉人なんですが、であると同時に現役バリバリの第一線の人でもある。その人のポスター。

いい絵だと思いますよ。実際、自分の部屋に貼りたいくらい。もしこれが反原発のポスターでないのなら。降っているのが雪ならば。

だけど、これが反原発なり脱原発なりのプロパガンダとして描かれたものだとしたならば話は別です。あまりにも陳腐ではないですか、これ。

幼子を守る母の姿、っていうのは古今東西描き継がれたテーマですが、それは人間の根幹にかかわることなので、「使い古された」とか「手垢がついた」とかそういう意味で「陳腐」なのではありません。

原発だか脱原発だかを描くのに「幼子を守る母の姿とそこへ降り注ぐ死の灰」っていうモチーフを持ってくるのは、正直な話、扇情的に過ぎるというか安直すぎるというか、和田センセ、なんかずいぶん手近なところに飛びついてやっつけで仕事しちゃったんじゃないか、みたいに感じたのです。そして、そういう扇情的で安直なモチーフを持ってきたというところに、和田センセの反原発というか脱原発に対する理解の浅さが、図らずも露呈しちゃったってことではないのかと。

そういう意味でのガッカリが、私にはありました。