プロセス。

明石家さんまと伊集院光、それぞれが見つけた魔法のカギ - 凹レンズ 〜まとまりのない日記〜 明石家さんまと伊集院光、それぞれが見つけた魔法のカギ - 凹レンズ 〜まとまりのない日記〜

多分18年くらい前になると思うんだけどもしかしたらもうちょっと後かもしれないけど、「人間関係とは『相互理解』のプロセスそれ自体」だと思うようになった。これはつまり、友情だの恋愛だのなんだのっていうのは、関係性の「状態」のことではなくて、そういう関係であろうとすること、相手を知りたいと思うことや誤解やそれを解こうとすることやすれ違いやら仲直りやらのすべてひっくるめたプロセスのことを指している、ということなんだけど。

ありがちな説明としては、「旅行」の例がいいのかなぁ。旅行っていうのは目的地についてからのあれこれ、が旅行なわけじゃなくてそこへの行き帰りも、ついでに言えば計画をたてることも全部ひっくるめて旅行、っていう感じだろうか。これでもあんまりうまく説明できてるような気がしないのだが。(というか自分のいいたいことだと、むしろ「計画立てること自体が旅行」みたいな感じのほうが収まりがいい)

この話、結構ことあるごとにいろんなところでしてるんだけど、なかなか理解してもらえない。単に私の説明が下手である可能性も高いけど。(んでも、昔のネットの知り合いの年下の友人はちゃんとわかってくれて、で「つまり『理解』というものは、考察を経て到達するものではなく、到達に至る考察の積み重ねそれ自体、だってことだよね」と言ってくれたわけだけど)

プロセスそれ自体をゴールにというか、実はゴールなんて単なるオマケであってプロセスにこそ本質がある、というケースは結構あると思うわけで。実は仕事以外のたいていのことはそうなんじゃないのかな、と。趣味で、たとえば模型とか作るとして、それって模型が出来上がったことが楽しいとか出来上がった模型を所有することがうれしいんじゃなくて、作ってる過程が楽しいでしょ(多分)。私は模型は作りませんが、絵とか編み物とかパッチワークとかカリグラフィとかはほとんどそんな感じだし(さらに言えば、道具選びとかもとても楽しい)。

でも、これも個人差があるのかなぁ。この前どこかで「最近の子供は電車に乗ってても楽しそうじゃなくて早く目的地に着きたがる」みたいな話を読んで結構愕然とした記憶がある。少なくとも子供のころって、どこかへ行くときはその途中のほうが楽しいものじゃなかったんだろうかと(私なんか未だに、通勤以外では乗り物乗ってる間のほうが目的地ついてからよりも楽しいことが少なくないんだけど)。


しかし、抽象的な話ばっかりというのは書くのムズカシイネ。
「だけど」がやたら多いのもなんとかならんもんか。