参考書とか問題集とかについてだらだら考えたこと。

フェルミ推定力養成ドリル、という本を買ったんですよ。でもあんまり読んでない。なんでなんだろう、と考えて、ひとつ思いあたったのが、「問題と答えが離れていること」。問題を解いて、さて答え合わせしてみよう、と思ったときに、その答えがすぐに出てこないのはすごくイライラする。一応この本は、巻末に回答篇がまとまっている、というわけではなくて、章ごとに前半が問題で後半が答えと解説、という風になってはいるのだけど、それでもなかなかイライラするのです。

で、思い出したのだけど、子供のころよく読んだ多湖輝の『頭の体操』。あの本がとても好きだったのですが、あれって、問題があってページめくるとそこに答えがあったんですよね。なのでどんどん読み進めていけた。

と書くと、「問題を見てすぐに答えを見ていたら、自分で考えて問題を解かなくなる」とかいう反論がありそうだけど。

個人的な経験から言えば、それは違うんじゃないかな、と思う。情報処理の試験受けたときも、問題と答えがすぐ近くにある参考書一冊で合格できたわけだし。

いまもあるのかどうかわからないけど、私が子供のころに「トレーニングペーパー」という通信学習があって、それなんかも問題と答えはすぐ近接したところにあって、事実上「答えを見ながら問題を解く」みたいな感じだった。それでも頭に入る。

実際問題として、問題をだーっと解いて、それからまとめて答え合わせするのって、「理解を深める」という意味ではあんまり役にたたないような気がする。本番の試験はそういう形式だから、とは思うけど、でもそういうのは模試のときにやればいいんじゃないのかな、と思った。まあこれはあくまでも自分の場合は、だけど。

(関係あるのかどうかわからないけど、推理小説なんかも倒叙式のほうがすきだな、そういえば)

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で、実はここに「南方熊楠は対訳本の日本語のほうばかりを読み続けて英語をマスターした」だの、最近はてブで話題になった「気づく瞳」「気づかない瞳」 だののハナシを続けようと思ったのだけど(私の頭の中ではかなり関係ある話なのだ)、ちょっとまだうまく言語化できないのでとりあえずおいておきます。



追記)イライラについてちょっと説明。ある問題について、一応頭の中で答えらしきものにたどり着いたか、または皆目検討がつかないか、そのどちらであったとしても、その不安定な状態のままで、似たような次の問題に取り組む、というのは非常に不合理だと思うわけですよ。もし間違った道筋へ入り込みつつあるのだったら、さっさと正しい解法を知った上で次の問題には取り組むべきだし、仮に正しい方法を得ていたとしたならば、なおさらそれが正しいことを確信した上で次に進めるべきだと思うわけです。正しいのか間違っているのかわからない状態で次々問題に取り組むのは精神衛生上あんまりよろしからぬストレスになると思うのです。