誕生日なので子供のころのこととか思い出してみる。

私の誕生日のすぐ後に母の命日と父の命日が立て続けにやってくるので、そんなことも思い出しつつ。

私の一番古い記憶は、横浜ドリームランドに遊びにきて、弟がぬれた玉石で足を滑らせて転んで泣いていたこと、なんですが(弟はまだオムツがとれていなかった)、そのちょっと後くらいに、当時我が家は小さな会社をやっていたのですが、その従業員も含めて、館山へ海水浴に行った、という記憶がある。そしてそれが、病院以外で見た最後の父の姿だった。

夏前にたしか胃の手術かなんかしたんだったと思うんだけど、そこから退院して、海へ行ったときはおなかに傷があったのは覚えているんだけど、秋になったら再び入院になり、そしてそれからは、二度と家へ帰ることはなかった。

家のすぐ近くに日本でも指折りの大病院があったにもかかわらず祖母のゴリ押しで信州の病院へ入院した父のつきそいのために、母は弟を連れて茅野へ行き、私と姉は幼稚園に通うために家に残った。私と姉の面倒は、近所の人とか親戚とか従業員の家族とかがみていたわけなんですが。というわけで、私も姉も、幼稚園の遠足の付き添いに母が来たことはほとんどなかったし、そもそも母とも父ともあんまり会えない感じだった。

たまに私と姉も茅野へ行くことがあって、上諏訪かどこかの駅でそばを食べたこととか覚えている。病院での父との会話とかはほとんど記憶にない。

というか、そもそも父は寡黙な人だったので、私はほとんど父の声を記憶していない。父の思い出といえば、焼きそばを作ってもらったこと、くらいだった。

私の5歳の誕生日に、父はおもちゃのピアノを買ってくれた。もちろんそれは父が買いにいったわけではなく、他の人に託すかたちで、「父より」とかかれて贈られた、というわけなのだけど。そしてその数日後、相変わらず母と弟不在の家で、大人のだれかが、「もうすぐお父さんが帰ってくる」と言ったのだった。

私は無邪気にも、「お父さんが帰ってきたら焼きそば作ってくれるかなぁ」とか考えていた、ということをものすごくはっきりおぼえている。そしてそのあと、泣きながら母が帰ってきて、葬式のしたくをはじめても、まだ私には何がなんだかわからなかった。

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母の話によれば、父は姉を音楽家に、私を科学者に、弟を宇宙飛行士にしたかったのだそうだ。父が私に(姉や弟に)何かを見出していたのか、それとも単に希望を語ったのかはわからないけど(姉に関しては音楽の才能があったのは間違いないと思う。残念なことに指が短いので演奏家はあきらめたけれど)。