インプット。

というわけで http://d.hatena.ne.jp/quix_que/20100112/1263270775 の続き。

自分は脳科学系の本は久保田競先生の「バカはなおせる」しか読んでないけど(しかも探しても見つからない。友達に貸す約束してるのに困ったものだ)、その本の中に書かれていたことのうち、No-Goについては多分前の前のブログで言及してるけど( http://phoque.exblog.jp/8527042/ )、もうひとつ、重要なポイントは、「記憶のメカニズムこそが脳の働きの基本」だというのがこの本では書かれている。どうでもいいことでもとりあえずいろいろ覚えておくということが重要なのだと。で、以下は本からの引用とか要約とかではなくて、そこから自分が考えたことなんだけど。

一般的な考え方として、「頭がいい」というのと「知識がある」というのは別ものと捕らえられているし、「頭がいい」というのと「記憶力がいい」というのも別ものだとされている。でもって、「頭の回転が速い」ことのほうが「モノを沢山知っている」ことよりも「本質的な頭のよさ」であるとされていることが多い(ように思う)。

だけどそれって違うんじゃないのかな、とある時期から考えるようになっていた。頭の回転が速くて他人の言葉に即座にうまい切り替えしが出来る人って頭よさそうに感じるけど、そういう人とじっくり話をしてみて「やっぱり頭いいなこの人」と思うのは、その人がただ頭の回転が速いだけじゃなくて沢山の知識の引き出しを持っている場合に限られる。

つまり、引き出しが多いということのほうが、より本質的な頭のよさを示しているのではないだろうか、と。

一応説明しておくけど、「引き出し」というのは引き出して中のものを使えてナンボ、なので、ただ記憶してる知識の量が沢山あるというのとは違う。

問題を解くために考える、というのは、「解法のパターンを身につける」というか、インプットされた解法パターンの中から適当なものを効率的に探し出してくる、というそのインデックス付けのことじゃないのか、と思うわけで。そしてそのインデックス付けのために必要なのは、多分「自分で解法を考える」ことじゃなくて、とにかくインプットを増やすこと、ではないのかと。

    • :

ずっと昔だけど、「プライベート・アクトレス」っていうドラマがあった。主演は大魔神佐々木の嫁になってる榎本加奈子。大女優の隠し子である彼女はプライベート・アクトレスという仕事を請け負っているのだけど、それは「特定個人のために必要な役を演じる」というもの。まったく演技の訓練など受けていない彼女がその仕事が出来る理由は、目の端にひっかかった些細なことまでも覚えていて、必要なときにはそれを引き出して使う、という能力に秀でていたから、という描写があった。

なるほど、と思う。前のエントリでちょっと言及しかけた「南方熊楠は対訳本の日本語のほうばかりを読んで英語をマスターした」というのも、日本語のほうを読みながらも英語が視界の片隅にあって、それを見ることでいつのまにか英語と日本語の対応(逐語訳という意味でなく)が頭の中にインデックスされていったのだろうと思うし(ちなみに、私個人は子供のころ対訳本のピーナツコミックスを沢山読んだわりに英語は得意じゃないのですが、一方で徒然草の現代語対訳本を愛読していたせいか、古文の成績はやたら良かった)。

考えてみたら、九九なんてあれ全部「暗記」。あれをいちいち計算してる人なんてほとんどいなくて、桁の多い計算でも必要に応じて九九の答えを引き出してきている。足し算とかだって足して100になる2つの数字の組はだいたい暗記してるよね。でもってそれって考えて得た答えじゃなくて、ただ覚えた答え。それと同じで、自分で考えて到達した答えでなければ実につかないなんてことは全然ない。肝心なのは、適切な場面で引き出せるか否かで、そもそも引き出すべきものがなかったらどうしようもないわけです。

だから、目の端にとまったどうでもいいことでもとりあえず意識してみる。私は頭の中で言語化するというか、見たもの考えたこと全部、文章による描写を頭の中で組み立てるのが癖になってるんだけど、そのせいか割と関連情報が芋づる的に頭に入っていることが多いみたい。そのためには、さっさと正しい答えを「知って」しまうことのほうが、自分で考えて到達するよりも速い。問題はその後なんだから。

なんか書いてるうちに抽象的な話になってきちゃったけど、一応今回はここまで。