宮廷の諍い女についてのまたしてもどうでもいい考察。

原作小説が清朝を舞台にしていない、ということについては前にも書きましたが、またそれについてのオハナシ。

諍い女には、雍正帝の兄弟が何人か出てきます。セリフの中でしか登場しない八弟九弟十四弟、妻と甄嬛との交流が描かれる(本人もちょっとだけ出番がある)十弟、そしてヒロインの相手役つまり本来はこっちが男Ⅰである十七弟果郡王、甄嬛の妹を娶ることになる二十一弟、といるわけですが、そのほかに、たびたび出てくるのが恒親王(五弟)です。

宮廷女官若㬢では、五阿哥の出番って兄弟そろって康熙帝の前に並んでいる場面くらいなのですが(十四が康熙帝の怒りを買って処刑されそうになったのを真っ先にかばったのが「日頃交流のない五阿哥」だったということで四と十四の確執が一層ひどくなるというような描写があるので、まあストーリー上一応存在してる感じで、まるっと無視されている三阿哥よりはずっとマシな扱い)、諍い女ではあれやこれやにいちいちケチつけるうるさ方、という感じの扱いで出てきます。

で、ここで不思議に思いませんか? 雍正帝つまり四阿哥の側近中の側近であった怡親王つまり十三、諍い女にはまったく影も形もない。円明園での甄嬛と果郡王との出会いのあたりで、果郡王の弓の腕前は先帝直伝、みたいな話が出てきますが、これって本当は怡親王のことじゃなかったっけ。

まあ、怡親王、というか親王に封じられる前の十三阿哥は長年幽閉(幽閉の期間は諸説あるみたいで、実際には十年以上とかそんなには長くなかったらしいけど)されて体が弱っていたということがあるにしても、これだけまったくいないことにされてしまうのはなぜなのだろうか、と。

多分なんですが、果郡王っておそらく史実ではそれほど面白みがないんですよ。絵だの詩だの音楽だの風流を愛した人であるらしいのですが。で、この果郡王のキャラクターを作るために、あえて十三を消してしまいそのポジションに果郡王を置いたのではないかと。

ちなみに、物語の後半、甄嬛が後宮に戻ってきてからジュンガルのおっさんが出てきてあれやこれやがあったころに、雍正帝は果郡王が(甄嬛との仲を疑うだけでなく)皇位簒奪をたくらんでいるという疑いを抱くわけですが、その時に「先帝が一番愛したのはあいつだった」みたいなことを言うわけですね。ツイッターでも何人かが「おいおいそれは十四だろう」と突っ込んでいましたが、そうやってツギハギすることで、あのみんな大好き果郡王允礼のキャラができているんですね。

それもこれも、無理やり雍正帝の時代にしちゃったからなんじゃないのかなと。

今ちょうどNHKで韓国時代劇「太陽を抱く月」をやっていて、これは完全フィクションというか特定の時代の歴史に根差したものではないということを最初に明言しちゃってるドラマなんですが、甄嬛伝も、無理して雍正帝の時代に合わせないで架空の王朝のオハナシでドラマ化とかできなかったのかなあ、とここらへんの無理やりの帳尻合わせを見ながら思います。

もう少し中国語がわかるようになったら、ちゃんと小説を読もう(いつになるのか)。