延禧攻略と如懿传のこと。

いっこ前のエントリであっちに統合すると書いたけど、やっぱりこっちでやります。

 

というわけで如懿传が始まったわけですが、小説をちょっと読んでいる自分としては、というか、甄嬛传の続編という認識だとちょっとあれ?って感じになりますね(甄嬛传の後半で三阿哥と見合いした嫌な感じの女、だったのが、なぜか四阿哥の幼馴染設定だったりするし)。まあそれはさておき。

個人的には延禧攻略のほうが面白そうな気がしてならないんですよ。まあこれは、ある程度話が進んでてそこに入り込めてる延禧攻略と、違和感を持って見始めたばかりの如懿传、という違いもあるのでしょうけど。ただし、ヒロインのモデルとなった人物のドラマチック度でいけば、継皇后になったのに勝手に出家して乾隆帝の怒りをかって諡号も贈られなかった乌啦那拉氏のほうが、息子が皇位継承したので皇后に封じられた魏佳氏よりもドラマチックな話になるだろうなとは思ってはいます、一応。

というか、かつては于正のドラマって言ったら、人物造形がご都合主義(必要性に疑問符がつく一人二役による双子とか生き写しとかのエピソードが必ず入る)だとか色彩が鮮やか過ぎて安っぽいとか衣装がちゃちとかそういう評価だったと思うんですけど、延禧攻略のほうが如懿传よりも衣装の面に限らず画面全体からうける重厚感が上のような気がする。

さて。

如懿传の原作は娴妃が大阿哥を養育することになるあたりまで読んだところで止まっているのですが、そこまででもすでにうんざりするくらいに陰湿な後宮のイジメ的な話「しかない」んですよね。それこそフジテレビの大奥みたいな感じ。

甄嬛传もそういう話だと思われてるかもしれないけれど、それでもあれが神劇とまで呼ばれた理由は、後宮内での自分の地位が家族の安寧や出世と直結していて、単なる色恋や愛憎劇ではなく、自分自身や家族を守るためには栄華を望まなくても強くならざるを得なかった悲しみ、が全編にわたって話の芯としてあるからではないかと思うのです(ちなみに天皇即位に伴う連休の後半からずっと、wowowオンデマンドで甄嬛传の全編見直しとかやったので記憶が新しい)。たびたび甄嬛が「色で事を成す」ことに対する自己嫌悪を口にしてるけど、あの話は本質的には、後宮のドロドロの話というよりは、そういう話です。

 

甄嬛传の原作小説が書かれた時点では、架空の王朝の話だったわけです。だからのびのびと好きな話を書けた。それがドラマ化された時に雍正帝の時代の話になり、ストーリーやエピソードをその時代の史実にある程度添わせる形になった。で、如懿传は、大成功したテレビドラマの甄嬛传の続編という形で書かれたわけで、乾隆帝の時代という舞台がはじめから決められているわけですよ。

で、私が小説を読んだ範囲では、如懿传に果たして、そういう「後宮のドロドロ」の奥に流れる大きな一本の芯みたいなものがあるのかどうかわからないんですね。ドラマのほうでは1話をみた感じでは、功臣を出せない乌啦那拉氏の家名を保つために後宮に人を送るしかない、的なことが描写されているようではあるのですが。

そのへん、延禧攻略では、姉の死の原因を知り仇を討つ、という明確な目的があり、それに従って行動している。そのあたりの明解さが話に入りやすかったのかもしれません。まあここから先、娴妃がどういう風にのし上がってくるのか(ちなみにこの人も、自分が後宮で平穏でいようとしたせいで家族が死ぬことになってしまった後悔から一転して後宮内での地位固めを始める、という流れ)とか純妃は何者なの?とかそういう興味はあるのですが、もし後宮のドロドロだけの話になっちゃったら(傾世皇妃で孟祈佑が蜀に戻って皇位についた後みたいに)、見るのしんどくてすっ飛ばしちゃうかもしれません。

というようなことを考えつつ。景甜苦手といいながら「皇后の記」も面白そうな気がしています。(話がつながっていない)