文字・人・仕事

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091111/crm0911110138008-n1.htm

きれいな字でちゃんとした文章。(もちろん直筆文字が読めるわけじゃないので、手紙を受け取った被害者の人によれば、になるわけだが)


本人のものだという掲示板への書き込みのぶっきらぼうな感じや、その中での「親の書いた作文でいい評価をもらい」云々についての記憶(http://phoque.exblog.jp/8829993/ 参照)があったので、この表現にはちょっと違和感があった。

きれいな字でちゃんとした文章、というと、どうしてもこの前テレビで見た永山則夫のドキュメンタリーが頭をよぎる。そしてふと気づく。時代背景による違いはあっても、社会からの疎外感という点で共通点がある。

(もちろん違う点も多々あって、たとえば永山は漢字もほとんど読めないという事情での「世間からの脱落」であり、加藤容疑者のほうはとりあえず掲示板で一方的ではあっても世間とつながっていた。ただし、なまじっかつながりが形式的にあるからこそ余計に孤独ということもあるので、後者が前者より「甘い」とかいうことはできないと思う、一応)

本人が「社会からの疎外感」を犯行の理由にして正当化することを許してはいけないと思う。思うが、一方で、彼らの感じた疎外感に対しては無視してはいけないのではないだろうか。

第二第三の加害者を生まないために。

(いやー書いていてわれながらきれいごとすぎて反吐がでる、しかし本心)

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それとは別に。

逮捕された市橋容疑者だけど、大阪のタコ部屋(20万超の給料から9万以上が住居と食費で天引きされて手取りは10万ちょっとだったらしい)で一年以上も肉体労働をし、100万の貯金が出来るって、よく考えるとすごいことじゃないだろうか。
(フジテレビはなにやらニュースで「肉体労働をやっていたので思考力が低下」的なことを言ったらしいが)

エリート家庭に育ち、それなり以上の教育を受けた彼がニート生活に甘んじてああいう犯罪にいたった経緯はわからない(そもそも現段階では逮捕容疑は死体遺棄)。そういう生い立ちであればこそ、彼の母親と同様、私も「とっくに自ら死を選んでいるのではないか」と思っていたわけだ。事件も(もし彼が殺したのならの話として)どう考えても突発的というか衝動的なもののようだし、追われながら生き延びるような精神的なタフさというものを、事件当時の彼に関する情報からは全く感じられなかったのだ(警察からはだしで逃げた、という話も、そこまでして逃げる、というよりもパニックになっていたという印象のほうが強い)。

しかしそうではなかった。この生と自由に対する執着。顔を整形してまでの逃亡というのが、生来の犯罪者性向というか反社会的素養によるものなのか、それとも自由に対する執着からくるものなのか、私にはなんとなく後者のように思える(根拠はない)。

ニートと、その対極ともいえる肉体労働。おそらくこのような事情がない限りは彼が肉体労働に従事することなどはなかっただろうと思うけれど、キツい仕事もいとわずにまじめに働き(土日も仕事入れてください、といっていたそうな)無駄遣いもせず、ただ生きて逃げ延びるために、人間はここまで自分をタフにできるものなのだということは、ちょっとした驚きだった。

そのタフさにもっと早く別の形で目覚めていたならば、おそらく彼にも違う人生があったであろうと思うと、やるせないものがある。