視点から抜け落ちるもの。

勝間和代(敬称略)の「35歳がうんたらかんたら」という例のあれ(ちゃんと引用したりトラックバックしたりという手間をかけるほどの内容のことを書くつもりがないのでここらへん略。というかこういう言い訳をしている暇があるんならちゃんとしろ、というつっこみは可)について、思ったこと。

元エントリは思いっきりはしょって書くと、「35までに結婚しないと人間として欠陥品になるので、結婚してみましょう。悪いことばかりに目をむけないで、いいこともたくさんある。生活が…とか思うかもしれないけど気持ちでなんとかなる」みたいな感じ。

これ読んで自分が最初に感じたのは何かというと、「ああそうか、35までに結婚しないということは、こんなに理不尽なレッテルを自動的に貼りつけられることなのか」だった。それについても思うところはあるけど、ちょっと置いておく。

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で、自分が一番違和感を抱いたのは、「結婚し子供を持つことでしか得られない経験」を「結婚し子供を持つというメインストリームの人生を歩んだのでは得られない経験」よりも上に位置づける、というスタンスだった(勝間はそう明記はしていないのだけど、書いている内容は要するにそういうこと)。

子供を持たないことを選択した人、持てない人(←私はココ)、そういう人を一段下に置き、「そう見られなくなかったら、あなたもこっちに来なさい」、そういう上から目線。

それは単純に「自分と考えの違う人はさげすんでいい」というだけのことでしかないんじゃないのかなぁ。

メインストリームの人生を軽んじるつもりはないし、自分自身も、いまだに時々「自分が子育てするときはこんな風にするんだ」的なことを考えている自分に気がついてちょっとびっくりすることがある。「気が若い」といわれると多分それは結婚も出産もしてないから子供気分が抜けてないってこともあるんだろうと思うし。

でも多分、自分がメインストリームの人生を歩んでいたら見れなかったこと、重い及ばなかった考え、そういうものを今の自分は持っている、と思う。そしてそれが、子供を育てた人の経験と比較して優劣をつけるような種類のことじゃない、ってことも。

勝間の文からは、その視点がすっぽり抜けていると思う。それが私は気に入らない。まあ勝間サンとしては私のようなオメガブロガーから気に入られなかろうと検出限界以下の問題でしょうけど。

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またあとでなんか加筆する予定。