死刑廃止論と表現の自由

最近はあまり見かけなくなったような気がするが、かつては死刑判決が予想されるような凶悪事件の判決公判が近くなると、テレビで町の声を流していた。判決の予想というか、「あなたなら死刑判決を下しますか」みたいな。

(多分この手のがなくなったのは裁判員制度と無縁ではないような気がする。けどそこはまだあまり深く考えていないし今回のエントリとは関係が薄いので略)


で、よくいるのが、


「私は死刑反対論者なんだけど、この犯人は死刑にすべきだと思う」


みたいなことを言う人。いやそれ、全然死刑反対論じゃありませんから。「こいつは死刑にするしかないだろう」と思うような人であっても死刑にはしない、という主張をしてこその「死刑反対論」なわけで。

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で、同じようなことを最近感じている。例の非実在青少年とかなんとかいうのに絡んだ、表現の自由問題。


表現の自由は尊重するけど、こんな表現までも許容されるものではない」


みたいなね。いやそれ、全然表現の自由を尊重してませんから。倫理的にあるいは生理的に受け入れ難いような表現であっても、それを表現する自由を認めてこそ、「表現の自由を尊重」といえるのではないか。


まあもちろん無制限に許せというわけではなく、直接的に他者の権利を侵害するのはダメだろうとか(これもまた曖昧な定義になってしまうけど)あるにせよ、基本はそういうことだと思う。


(お風呂の中で思いつきで書いたのでかなり粗い)


2010-4-29一部手直し。