折ってたたんで裏返し〜♪

というわけで、折鶴です。

その昔、心こめて千羽鶴作って渡したことがあるんですよ。ほぼ全部(多分実際には950以上)ひとりで折って。渡した相手は、当時阪神タイガースの新監督だった後藤さん。開幕の巨人戦の直前、宿舎から球場へ向かうバスに乗り込む時に渡したわけです。で、ご存知のとおり、その年のタイガースは球団史上初の最下位になった、と。

とまあ、私と折鶴って基本的に相性が悪いんですね、多分。手先は不器用なほうじゃないから折り紙とか結構好きなんですけど、鶴ってそれほど面白くもないし、あれは数作るくらいしかやりがいが感じられないんだろうな、が千羽作ってみた感想。
(ちなみに、青海波とか、そういう「一部をくっつけた状態の紙でたくさん鶴が連なったもの」は飾るには素敵だと思うし折れる人はかっこいい)

もひとつおまけに、それよりももうちょっと昔の話。

当時外国人と文通するのが流行ってて、で私も御多分にもれずギリシャ人の少年とエアメールのやりとりなんかしちゃってたわけですが、クリスマスに何かプレゼントしよう、ということを考えて、お金ないから凝ったカードとかは買えないけど、たまたま和紙のきれいなのが手に入ったので、日本的なものを、ということで、それで鶴を折って同封したわけです。これは折鶴というものだ、という説明つきで。

でもって、返ってきた返事は、「きれいな紙をありがとう。でも、鶴には見えないよね」でした。

うん。ちょっとしたカルチャーショックでしたね。そもそもあの形が「鶴」を模しているということ自体が、文化を共有していない人には全然伝わらないのですよ。日本の文化の中で育っていれば、あの形というか意匠を見ればすぐに「折鶴」であることを理解し、「鶴」だと思うのでしょうけど、知らない人が見てすぐに鶴を連想できるか、というと実のところ結構微妙ではないだろうかと(そういえば鶴という鳥の分布範囲とかどうなんだろう)。

とまあ、ハイチの千羽鶴騒動から考えたことをつらつらと。