動物園の役割って…。

http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1213189909596&SiteID=0

アムールトラのタイガが肉をのどに詰まらせて窒息死したそうだ。

すべての生き物が生き続けることができるわけではないわけだし、こうやって特定の個体の死に対して感傷的になるのも所詮個人の趣味の範疇でしかなく、偽善のそしりを免れないとは思うのだが(エクスキューズが多いな)。

彼らは生まれたときから体に障害があった。そういう個体は野生状態では当然生き延びることはできなかったわけで、彼らは動物園生まれだからこそここまで大きくなることができたわけです。

でね、なんか思っちゃったのよ。どうせ野生では生きられない子たちなんだから、普通のトラとして育てる必要はなかったんじゃないだろうか、って。タイの寺院(だったっけ?)でやってるみたいに、火を通したひき肉だけを食べさせる(食物と認識させる)育て方をして、人間の手元において育てるって方法もあったんじゃないだろうか、って。今回の死に方が「肉の塊をのどにつまらせて」というものであっただけに、余計にそう思う。

おそらく、飼育員の方は今悲しみとか後悔とかいろんな気持ちで打ちひしがれていると思うし、そこに追い打ちをかけるような意味で言っているわけじゃないんだけど。

これは、動物園という施設の存在意義そのものに対する疑問でもある。旭山動物園の行動展示みたいに、動物の生態に近い形、彼らの能力をみせる形で展示する、っていうあり方が現在は主流なんだろうし、それは多分試行錯誤の末に現在ベターであると考えられていることなんだろうけれど、それとは別に、たとえばタイガのように明らかに野生状態では生き延びられない個体であっても、人と共存することで生きていけるのならば、あえて育ての親である人間から隔離するのではない育て方もあっていいんじゃないだろうか、と思った。

(これは、愛媛とべ動物園ホッキョクグマのピース君についても同じように思う。ピース君の場合はかなり大きくなってからてんかんのような発作を起こすことがわかったので、生まれてすぐに障害が発覚したタイガ・ココアとはまたちょっと事情は違うのだけど)