「宮廷の諍い女」と雍正帝

宮廷の諍い女の原作小説は時代を特定しない架空の王朝の話、というのは以前にも書いたと思うのですが、それについてつらつらと考えたことなどを。
(思いつきなので突っ込みどころ満載ですがご容赦を)

まず、なぜそもそも雍正帝の時代にしたのか、というのは、歩歩驚心(宮廷女官若㬢)のヒットと関連があるのではないかと思ってたのだけど、中国のドラマって全部完成してから許可が出るまで待ってそれから放送、みたいなサイクルで制作されているらしいので、どうもそれはなさそうです。(76話ある諍い女の撮影にかかる期間を考えると、企画の時点では歩歩〜は放送されてないだろうし(制作発表くらいはあっただろうけど)

じゃあなんでなんでしょうね。この前ツイッターでどなたかが言っていたし、私も「雍正王朝」見て思ったのですが、後宮の女をとっかえひっかえというイメージとおよそかけ離れた皇帝だと思うんですよ、雍正帝

(第一回で皇太后が子供特に皇子が少ないことを危惧して秀女選をやることにするのだけど、雍正帝本人は気乗りしない様子なのは、ここらへんについての配慮なのかもしれない)

それにですね。そもそも清朝自体が明朝に比べて格段に質素だったというか、まあ庶民にくらべればずっと贅沢はできたにせよ、度重なる黄河の氾濫だの干ばつだの西域への遠征だの討伐だの官僚の腐敗だので、雍正帝の時代にはそれほど国庫は豊かではなかったので(雍正王朝だと雍正帝即位後のストーリーはその建て直しがメインだし)、どうもきらびやかな後宮ストーリーにはまるような時代にはあんまり思えないんですね。

なので…。

清朝って、辮髪とか旗袍とか両把頭とか、そういうビジュアル的にわかりやすいイメージがある、っていうのが大きいのかな、と。

それにしても、です。「宮廷の諍い女」(つまりテレビドラマ)のノベライズと、後宮甄嬛傳の日本語訳と、両方読んで比較してみたいですね、個人的には。(中国語をスラスラ読めるようになるには道が通そうなので)

どこかの出版社、やってくれませんか。